桂由美を支えた“宝物”
数々の出会いや言葉 そのストーリーをご紹介します
STORY
01
本物のエレガンスを実感
日本初のブライダル店を開くにあたり「世界のウェディングファッションを調べてみよう」と世界各国を巡る旅を決意。しかし問題はビザ。ビザをとるため女性誌の特派員になるという思いつきが、ウェディングドレスデザイナー桂由美に予期せぬ宝物を与えることになりました。
インタビューしたのは世界の大スターたち。取材の申し込みからすべてを行うという決して片手間ではできない仕事。グレース・ケリーはモナコ王妃ですから取材アポをとるのは外務省経由、オードリー・ヘップバーンは大人気女優で多忙を極め、悪戦苦闘の末、この二人に会うことが実現。しかし、最も得ることが多かったインタビューとなりました。「グレース・ケリーにお会いしたとき、話し方、立ち居振る舞いから滲み出る優雅さ、エレガントという言葉はこの人のためにあると感じました。オードリー・ヘップバーンはまた違うエレガンスで、少女のようにロマンティックな表現、しぐさが印象的でした」。
300日間世界一周の取材で会ったトップスターは30名。それぞれがユミカツラのエレガンスのスパイスになった出会いでした。
STORY
02
日本の美を伝える使命感をいだく
1980年代、桂由美は着物や帯地の伝統技術を守るための様々な挑戦を行っていました。「博多織のすばらしさを世界にアピールする手段はないだろうか」と考えていたとき思いついたのがローマ法王への祭服の献上。それはとてつもない思いつきでしたが、桂は直ぐに実行。法王は重いものは着用されないと聞くや、「軽くて薄くて豪華」な博多織の開発に邁進。純金箔を使った特殊な織りの生地に、柄は法王の祖国ポーランドの国花パンジーをモチーフにデザイン。発案から2年半の歳月をかけて完成。1993年、献上してから3ヶ月後の復活祭で法王は祭服を着用され、その様子は全世界に放映されました。直後、法王に謁見できたのも異例のこと。「ローマ法王からねぎらいのお言葉をいただいたときは涙があふれました」。これを機に桂は「日本の美を世界に発信」することに強い使命感をいだくようになります。
STORY
03
自信を与えてくれた一通の手紙
ニューヨーク、ロンドンでのショーも成功をおさめ、1987年1月に念願のパリでの初のグランドコレクションが実現しました。このショーの後、コレクションを見たというフランス人女性から手紙をもらいました。「・・・今後もしベルサイユ宮殿の物語を再現しようとすることがあれば、誰もがまず桂由美のことを思い起こすことになるに違いない。(中略)これほど大胆、かつ自由奔放なタッチで我々のロマンティックな夢を実現しうる人は、桂由美を除いてほかにはいない」。この賛辞の手紙の主は作家のフランソワーズ・サガンでした。
「パリが私を受け入れてくれるだろうか」という不安を感動に変えた手紙でした。手紙から得た自信がその後のヨーロッパでの活躍につながり、ヨーロピアンエクセレンス協会より「トライアンフ大賞(服飾部門)」が贈られ、さらに2003年からの「パリ・オートクチュールコレクション」参加への道に続いていきました。
STORY
04
天職と思わせた言葉の贈り物
桂由美の耳に今も残る言葉、そして大切にしている言葉。それは「あなたが羨ましい」です。
故ピエール・バルマン氏が東京・乃木坂のブライダルハウスに立ち寄ったとき桂に言った言葉です。「自分はパリでオートクチュールの仕事をしているが、年に何回しかウェディングドレスを手掛ける機会はない。この世で最も美しいものは花嫁姿。毎日ウェディングドレスに囲まれているあなたが羨ましい」と。
「このとき私は電気ショックを受けたように身が震えたのを今でも覚えています」。オートクチュールの第一人者であり、桂が最も敬愛しているバルマン氏から「羨ましい」といわれる仕事に携わっているという実感が、桂を奮起させ、ブライダルファッションに携われる幸せと、天職だという思いをより強くさせたのです。